1844年の夏の「さあ、花婿だ」という宣言は、多くの者に、主の
再臨はすぐだと期待させた。その指定された時に、花婿は、人々が期待
したように地上にではなくて、婚宴のために、すなわちみ国を受けるた
めに、天の日の老いたる者のもとに来たのである。
「用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやに入り、そして
戸がしめられた。」
彼らは、婚宴の席に列することはできなかった。なぜなら、これは天に
おいて起こり、彼らは地上にいるからである。キリストの弟子たちは、
「主人が婚宴から帰って」くるのを「待って」いなければならない
(ルカ 12:36)。
しかし、彼らは、主の働きをよく理解し、彼が神の前に出られるのに信
仰によって従っていかねばならない。この意味において、彼らは、婚宴
の部屋に入ったと言われているのである。
たとえによると、婚宴の部屋に入ったのは、あかりとともに器に油を
持っていた者たちであった。聖書から真理の知識を得るとともに、聖霊
と神の恵みとを持っていた人々、厳しい試練の夜も、忍耐して待ち、よ
り明らかな光を求めて聖書を研究した人々、
―これらの人々は、天の聖所に関する真理と、救い主の務めの変化とを
認め、信仰によって、天の聖所における彼の働きに従っていった。そし
て、聖書のあかしをとおして同じ真理を受けいれ、キリストが仲保の最
後の働きを行うために、そしてその最後にはみ国を受けるために、神の
前に出られるのに信仰によって従っていく者たちは、すべて、婚宴の部
屋に入るものとして表わされているのである。
マタイ 2 2: のたとえにおいて、同じ婚宴の象徴が用いられ、婚宴
に先だって調査審判が行われることが明示されている。婚宴に先だって、
王は、すべての客が、礼服、すなわち、小羊の血で洗って白くしたしみ
のない品性の衣を着ているかを見るために入ってくる( マタイ 2 2:
11、黙示録 7:14参照)。
欠けていることを発見された者は、追い出されるが、調査の上で礼服を
着ていることが認められたすべての者は、神に受け入れられ、み国に
入って神のみ座のもとに座るに足る者と見なされるのである。品性を調
査し、だれが神の国に入る準備をしたかを決定するこの働きが、調査審
判の働きであり、天の聖所における最後の働きなのである。
調査の働きが終わり、各時代においてキリストに従う者であると称し
てきた人々の調査と決定がなされた時、その時初めて、恩恵期間が終わ
り、恵みの扉が閉じられる。このように、「用意のできていた女たちは、
花婿と一緒に婚宴のへやに入り、そして戸が閉められた」という短い
1節の中に、救い主の最後の務めが終わって、人間の救いの大事業が完
成される時までが、示されている。
引用はエレン・G・ホワイト著「各時代の大争闘」CD-ROM福音社版より。段落わけと背景色は投稿者による。
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