2011年10月11日火曜日

再臨運動の歴史(10)型と実体

地上の聖所が型で、天の聖所が実体です。
贖罪に関する重要な真理が、型としての儀式によって教えられている。
罪人の代わりに、その身代わりとなるものが受け入れられた。しかし、
犠牲の血によって罪が取り消されたわけではなかった。こうした方法に
よって、罪が聖所に移されたのであった。罪人は、血のささげ物によっ
て、律法の権威を認め、犯した罪を告白し、来たるべき贖い主を信じる
信仰によって許しを願っていることを表明した。

しかし彼は、律法の宣告から全く解放されたのではなかった。大祭司は、
贖罪の日に、会衆からのささげ物をとって、その血をたずさえて至聖所
に入り、律法の真上にある贖罪所の上にそれを注いで、律法の要求を満
たした。それから彼は、仲保者として、罪を自ら負って、聖所から持ち
出した。彼は、アザゼルのやぎの頭に手をおいて、すべての罪を告白し、
こうして、象徴的に、自分からアザゼルのやぎへと罪を移した。それか
やぎは、罪を背負って去り、そして罪は永遠に民から切り離されたも
のと見なされた。


これが、「天にある聖所のひな型と影」に従って行われた儀式であっ
た。そして、地上の聖所の務めにおいて、型として行われたことが、天
の聖所の務めにおいて、現実に行われるのである。われわれの救い主は、
昇天ののち、われわれの大祭司としての働きを始められた。パウロは次
のように言っている。「ところが、キリストは、ほんとうのものの模型に
すぎない、手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、今やわ
たしたちのために神のみまえに出て下さったのである」( ヘブル 9 :
24)。

戸口であり、聖所を中庭から区別するものであった「幕の内」におい
て、すなわち、聖所の第1の部屋において1年を通じて行われる祭司の
務めは、キリストが昇天の時に始められた務めを表している。神の前に
罪祭の血をささげ、イスラエルの祈りとともにたちのぼる香をたくこと
が、日ごとの務めにおける祭司の働きであった。


同様にキリストは、罪人のためにご自分の血をもって天父に嘆願なさり、
そのみ前に、ご自身の義の尊い香とともに、悔い改めた信者の祈りを差
し出された。これが、天の聖所の第1の部屋における務めであった。

キリストが弟子たちを離れて昇天された時、弟子たちは、信仰によっ
てここまで彼についていった。ここに彼らの希望は集中した。パウロは
次のように言った。「この望みは、わたしたちにとって、いわば、たまし
いを安全にし不動にする錨であり、かつ『幕の内』にはいり行かせるも
のである。その幕の内に、イエスは、永遠に・・・・大祭司として、わたし
たちのためにさきがけとなって、はいられたのである。」かつ、やぎと子
牛との血によらず、ご自身の血によって、1度だけ聖所に入られそれに
よって永遠のあがないを全うされたのである」(ヘブル 6:19、20、
9:12)。

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