第一天使とは、ヨハネの黙示録14:6に登場します。「わたしは、もうひとりの御使(みつかい)が中空を飛ぶのを見た。」この御使=天使のこと。この天使に続いて第2、第3の天使が登場し、それぞれがメッセージを宣言します。
神が創造主であるという聖書のメッセージは、進化論に慣れ親しんだ人には受け入れがたいものです。しかし、聖書は初めから、神が創造主であると宣言しています。
第一天使は、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ」、神を天地の創造主と
して礼拝せよと、人々に呼びかけている。そうするためには、神の律法
に従わなければならない。
賢者は、「神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である」
と言っている(伝道の書 12:13)。
神の戒めに対する服従がないならば、どんな礼拝も神に喜ばれることは
できない。
「神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。」「耳を
そむけて律法を聞かない者は、その祈でさえも憎まれる」(Ⅰヨハネ 5:
3、箴言 28:9 )。
神を礼拝する義務は、神が創造主であり、他のすべてのものはその存
在を神に依存している、という事実に基づいている。そして、聖書の中
で、異教の神々にまさって神が崇敬と礼拝を受けるべきであると示され
ている時は、常に、神の創造の力がその実証としてあげられている。
「もろもろの民のすべての神はむなしい。しかし主はもろもろの天を造
られた」(詩篇 96:5)。「聖者は言われる、『それで、あなたがた
は、わたしをだれにくらべ、わたしは、だれにひとしいというのか。』
目を高くあげて、だれが、これらのものを創造したかを見よ。」
「天を創造された主、すなわち神であって、・・・・地を・・・・造られた主は
こう言われる、『わたしは主である、わたしのほかに神はない。』」
(イザヤ 40:25、26、45:18)。
詩篇記者も言っている。「主こそ神であることを知れ、われらを造られた
ものは主であって、われらは主のものである。」「さあ、われらは拝み、
ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう」( 詩篇 100:
3、95:6)。
また、天において神を礼拝する聖者たちは、神をあがめるべきその理由と
して、「あなたこそは、栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。
あなたは万物を造られました」と述べている(黙示録4:11)。
黙示録 1 4: には、創造主を礼拝するようにという呼びかけが人々
に対してなされている。そして、三重の使命の結果として、神の戒めを
守る一団の人々が起こることを、預言は示している。
神の戒めを守る「聖徒」は、英文ではsaintsと複数になっています。ゆえに、神の戒めを守る「一団の人々」といわれているのです。
これらの戒めの1つは、神が創造主であることを直接指示している。第
4条は、次のように宣言している。「7日目はあなたの神、主の安息で
ある。・・・・主は6日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを
造って、7日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖
とされた」(出エジプト20:10、11)。
安息日について、主は、さらに、それが「しるしとなって、主なるわた
しがあなたがたの神であることを、あなたがたに知らせるためである」
と言われる(エゼキエル 20:20)。
そしてその理由は、「それは主が6日のあいだに天地を造り、7日目に
休み、かつ、いこわれたからである」と言われているのである
(出エジプト 3 1:17)。
「創造の記念としての安息日の重要さは、われわれがなぜ神を礼拝す
べきであるかという真の理由を常に考えさせるところにある。」すなわち、
神は創造主であって、われわれは神に造られたものだからである。「それ
ゆえに、安息日は、礼拝の根底そのものである。というのは、安息日が、
他のどんな制度よりも、最も感銘深い方法で、この大真理を教えている
からである。7日目における礼拝だけでなく、すべての礼拝の真の根拠
は、創造主と造られたものとの区別にある。この大事実は、決して廃す
ることのできるものではなく、また決して忘れてはならないものであ
る。」
神がエデンで安息日を制定されたのは、この真理を常に人々の心
に留めておくためであった。
そして神がわれわれの創造主であるという事実が、神を礼拝する理由と
して存続するかぎり、安息日は、そのしるし、また記念として、存続す
るのである。安息日がすべての人に守られ、人間の思いと愛情が、崇敬
と礼拝の対象としての創造主に向けられていたならば、偶像礼拝者や無
神論者や不信心者は決してでてこなかったことであろう。安息日を守る
ことは、「天と地と海と水の源とを造られた」真の神に対する忠誠のしる
しである。それゆえに、神を礼拝し神の戒めを守ることを命じるメッセ
ージは、特に第4条の戒めを守るよう人々に呼びかけるのである。
創造主に心を向け、神を崇めることは、安息日を守る ことにつながります。1844年以降、第7日安息日を守る人々が現れました。現在もいくつかの教会として存続しています。
引用はエレン・G・ホワイト著「各時代の大争闘」 CD-ROM福音社版より。段落わけや背景色は投稿者による。
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