再臨待望者たちは皆が、聖所と神の律法を受け入れたのでしょうか?
これらの真理すなわち聖所と神の律法=安息日を拒否したと記録されています。
再臨の日時を定めることは、今や、無意味である。なぜなら、1844年はキリストが天の聖所の至聖所に入り、キリストを信じる者の「罪を取り除く」働きを開始したからだ。
再臨信徒のするべき事は、天の至聖所におられるキリストに従って行く。律法=安息日を守る。この2点だった。天の至聖所に向かって悔い改め、願いを捧げ、安息日を休む生活を始める。これがとるべき道だった。
ところが、多くの者はそうしなかった。と記録されています。
再臨信徒の大部分は、聖所と神の律法に関する真理を拒否した。そし
て、多くの者は、再臨運動に関する信仰をも放棄して、この働きに適用
された預言について、不健全で矛盾した意見を取り入れた。ある人々は、
キリスト再臨のはっきりした時日を何度も定めるという誤りに陥った。
今や、聖所問題の上に輝いている光は、どんな預言的期間も再臨までは
及んでいないこと、そして、この事件の正確な時は預言されていないこ
とを、彼らに示したはずであった。しかし彼らは、光から顔をそむけて、
主の来られる日を定め続け、そのたびに失望に陥っていた。
Most Holy Redeemer / H.L.I.T.
エレン・G・ホワイトは聖書の警告に聴くように指示しています。
テサロニケ教会が、キリストの再臨に関して誤った見解を抱いた時、
使徒パウロは、彼らの希望と期待とを注意深く神の言葉によって吟味す
るように、彼らに勧告した。彼は、キリスト再臨の前に起こる事件を示
している預言を引用して、彼らの時代にキリストがおいでになると期待
する根拠がないことを彼らに示した。
「だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない」と彼は警告
している(Ⅱテサロニケ 2:3)
もしも彼らが、聖書の承認しない期待を抱くならば、誤った行動に走り、
失望の結果不信心な者たちの笑いものになり、落胆して、自分たちの救
いに不可欠な真理を疑うような誘惑に陥ってしまったであろう。
テサロニケ人への使徒の勧告は、終末時代に生きている者たちに対して
の、重大な教訓を含んでいる。主の再臨の明確な時日の上に信仰を置く
ことができないなら、熱心に準備にいそしむことができないと感じてい
る再臨信徒が多い。しかし、彼らの希望が、何度も何度も燃え上がって
は崩れ去るうちに、彼らの信仰は打撃を受けて、預言の大真理をほとん
ど感じることができなくなってしまうのである。
引用はエレン・G・ホワイト著「各時代の大争闘」 CD-ROM福音社版より。段落わけや背景色は投稿者による。
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