2011年9月15日木曜日

再臨運動の歴史(4) 2300年後の1844年にキリストの再臨がある

2300年の後にキリストの再臨がある!預言の年代を計算すると、2300年後は1844年にあたります。計算方法は間違いないと聖書研究者ウイリアム・ミラーは確信しました。聖書の預言は過去において正確に当たっていたから、これからも正確に当たるはずです。

「エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひと
りの君が来るまで、7週と62週ある」
―すなわち、69週、つまり483年ある。アルタシャスタ王の
勅令は、紀元前457年の秋に実施された。その時から483年
がたつと、紀元27年の秋になる。

その時、この預言は成就した。
「メシヤ」とは、「油を注がれた者」という意味である。キリス
トは、紀元27年の秋、ヨハネからバプテスマを受け、聖霊の油
を注がれた。
エルサレムを建て直せという命令は、エズラ記7章に記されている。紀元前457年に、ペルシャ王アルタシャスタによって、最も完全な形で発布された。この年代が預言の計算のスタートになるのです。
メシアなる君とはキリストのことで、紀元27年にキリストは宣教を開始しました。


「彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう」
紀元31年、われわれの救い主は、そのバプテスマから3年半の
後に十字架にかかられた。カルバリーにおいてささげられた大い
なる犠牲によって、4000年の間神の小羊を指し示してきた
牲制度は終わった。型は実体と出会い、儀式的な制度のあらゆる
犠牲と供え物は、そこで終わるのであった。

ユダヤ人のために特に定められた70週、すなわち490年は、
これまで見てきたように、紀元34年で終わった。

その週の半ば=3年半の後、キリストは十字架に掛けられました。「犠牲と供え物とを廃する」とは、十字架の死によって、キリストは自ら犠牲となったことで、これまでの犠牲制度は終わったという意味。犠牲としてささげられた子羊は、キリストを表していたのでした。

ユダヤ人のために定められた70週が終わると、その後、福音はユダヤ人以外の異邦人に伝えられるようになります。

ユダヤ国民は、その時、サンヒドリンの決議によって、ステパノ
を殉教させ、そしてキリストの弟子たちを迫害することにより、
福音の拒否を決定的なものにしてしまった。それ以後、救いのメ
ッセージは、もはや選民に限られることなく、全世界に伝えられ
た。迫害のためにエルサレムを逃げなければならなくなった弟子
たちは、
「御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた。」「ピリポはサマリヤ
の町に下って行き、人々にキリストを宣べはじめた。」ペテロは、
神に導かれて、カイザリヤの百卒長、神を敬うコルネリオに福音
を伝えた。また、キリストに対する信仰へと導かれた熱心なパウ
ロは、「遠く異邦の民へ」福音を伝える任命を受けた
(使徒行伝 8:4、5、22:21)。

ここまでの預言が成就したのだから、あとの預言も成就するはずです。1844年も成就するはずでした。

ここまで、預言に指示されたことはみな、驚くばかりに成就した。
そして70週が紀元前457年に始まり、紀元34年に終わるこ
とが、疑いの余地なく確定した。この年代から2300日の終わ
りを見いだすことは、難しいことではない。70週、すなわち
490日が2300日から切り取られると、あとに1810日が
残る。490日が終わったあとで、1810日もまた成就するは
ずであった。紀元34年から1810年たてば、1844年にな
る。

この大いなる預言の期間が終わったところで、「聖所は清め
られる」と神の天使はあかししたのである。こうして、聖所の清
め―それはキリストの再臨の時に起こるものと、ほとんどすべて
の人が信じていた―の時が、はっきりと指示された。

「聖所は清められる」という預言を、当時の人はキリストの再臨と信じていました。この地上が聖所であるという、当時の考え方を、当然のこととして受け入れていたからです。キリストが来られて、この地球を清めるのだ、と考えていたのです。


預言の年代(画像をクリックすると拡大画像が開きます)

(引用は「各時代の大争闘」福音社E.G.White著作選集CD-ROMより、段落の改行や背景色は投稿者による)

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