2011年9月12日月曜日

再臨運動の歴史(3)ダニエル書の2300の夕と朝、聖所が清められる

ウイリアム・ミラーはダニエル書の預言の研究によって、キリストの再臨の時を計算しました。旧約聖書ダニエル書の「2300の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」という預言は、2300日を経ると聖所が清められるという意味にとれます。

聖書の預言では1日を1年と数えることから、2300年経つと聖所が清められると解釈されます。そこで、ある時から始まって2300年経てば、聖所が清められるとの結論に達したのです。ウイリアム・ミラーは、聖所はこの地球を指すと理解していました。この理解は後で間違いとわかるのですが、この当時は普通に信じられていたのです。

キリストの再臨の時を最も明らかに示していると思われる預言
は、ダニエル 8:14の「2300の夕と朝の間である。そ
して聖所は清められてその正しい状態に復する」という預言で
あった。ミラーは、聖書を聖書自身の注解書とするという彼の
規則に従って、象徴的預言においては、1日が1年を表わすこ
とを知った(民数記 14:34、エゼキエル4:6)。
彼は、預言の2300日は字義的には2300年であって、ユダ
ヤ時代の終結する時をはるかに越えているから、その時代の聖所
を指すものではないということを悟った。ミラーは、キリスト教
時代においては、地上が聖所であるという一般の見解を受け入れ
た。

そこで彼は、ダニエル 8:14に預言されている聖所の清めとは、
キリストの再臨の時に、地上が火で清められることであると理
解した。したがって、2300日の正確な起算点を発見すること
ができれば、キリスト再臨の時は容易に確かめることができる
と、彼は結論した。

ここで言われている旧約聖書のダニエル8:14とは以下のような文脈です。もっと前の節から幻が続くのですが、略します。その意味内容は、
「その角」で表される高ぶる者が聖所を倒し、真理を投げ討ったという描写であることが、ここから理解できます。高ぶる者=ローマ教会であり、歴史上では法王至上権時代が1260年続き、その後で、聖所が清められる、という順序になります。
11 またみずから高ぶって、その衆群の主に敵し、その常供の燔祭を取り除き、かつその聖所を倒した。
12 そしてその衆群は、罪によって、常供の燔祭と共に、これにわたされた。その角はまた真理を地に投げうち、ほしいままにふるまって、みずから栄えた。
13 それから、わたしはひとりの聖者の語っているのを聞いた。またひとりの聖者があって、その語っている聖者にむかって言った、「常供の燔祭と、荒すことをなす罪と、聖所とその衆群がわたされて、足の下に踏みつけられることについて、幻にあらわれたことは、いつまでだろうか」と。
14 彼は言った、「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」。
(旧約聖書ダニエル書8:11から8:14)

1260年の期間はダニエル書7:25から算出されます。「彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。」
「ひと時と、ふた時と、半時」=3年半=360日×3.5=1260日=1260年という計算です。

聖所とは、ひとの罪を贖う(あがなう)ために、神がモーセに型を示して造らせたものです。はじめは移動式の幕屋、やがてソロモンの神殿に代わり、紀元70年にエルサレムがローマに滅ぼされるまで存在しました。


引用文は「各時代の大争闘」エレン・G・White著からの引用です。(福音社 エレン・G・ホワイト著作選集CD-ROMより)(背景色、段落、注は投稿者による)

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