2011年10月27日木曜日

再臨運動の歴史(26)獣の刻印とは何か?

「また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。」(ヨハネ黙示録13:16,17)

上記の聖書の言葉が「獣の刻印」の預言です。
獣の刻印とは何でしょうか?

「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、 神の怒りの杯、、、、を飲み、、」(ヨハネ黙示録14:9,10)

上記の聖書の言葉の
獣とその像とは何でしょうか?

まず、獣は法王制とされています。過去の歴史において強制力を持って人々に礼拝を強要したのは法王制だったのです。

2つの角を持った獣は、「また、小さき者にも、大いなる者にも、富
める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、
その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を
買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、
または、その名の数字のことである」(黙示録 13:16、17)。

第3 天使の警告は、「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を
受ける者は、神の怒りの杯・・・・を飲」むと告げている。

このメッセージの中にあげられている「獣」、それを礼拝するようにと
2つの角を持った獣が強制するところの獣は、黙示録13章の最初の獣、
すなわちひょうに似た獣―法王制―のことである。

「獣の像」は、プロテスタント諸教会が自分たちの教義を強制するために
公権力の助けを求める時に起きてくるところの、そうした背教のプロテス
タント教会を表している。ここで、さらに、「獣の刻印」が明らかにされ
なければならない。

引用はエレン・G・ホワイト著「各時代の大争闘」 CD-ROM福音社版より。段落わけや背景色は投稿者による。

2011年10月26日水曜日

再臨運動の歴史(25)アメリカと獣の像、教会合同運動はその先ぶれか?

聖書の預言の一つに、終末には宗教的堕落が起こることが示されています。

アメリカにおける教会合同の動きは、獣の像をつくる先ぶれなのでしょうか?エレン・G・ホワイトのこの書が書かれた1900年代にすでに教会合同の動きがあったようです。

現在、各国で教会合同の動きが活発化しているようです。メガチャーチといわれる大型教会の出現もあります。


聖書は、主の再臨に先だって、初期の時代の状態に似た宗教的堕落の
状態が起こるといっている。

「終りの時には、苦難の時代が来る。その時、人々は自分を、愛する者、
金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう
者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、無情な者、融和しない者、そしる者、
無節制な者、粗暴な者、善を、好まない者、裏切り者、乱暴者、高言を
する者、神よりも快楽を愛する者、信心深い様子をしながらその実を捨
てる者となるであろう」(Ⅱテモテ 3:1―5)。

「しかし、御霊は明らかに告げて言う。後の時になると、ある人々は、
惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、信仰から離れ去るであろう」
(Ⅰテモテ 4:1)。
サタンは、「あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、また、あらゆる
不義の惑わしとを」もって働く。そして、「自分らの救となるべき真理に
対する愛を受けいれな」い者はみな、「彼らが偽りを信じるように、迷わ
す力」に陥ってしまうのである(Ⅱテサロニケ 2:9―11)。

こうした不信の状態に達した時に、初期の時代におけると同様の結果が生
じるのである。

初期時代と同様の結果とは、ローマ教会がおこなった異端の迫害です。教会合同により、共通の教理ができあがります。その教理に一致しないものは異端として排除する、迫害するという構造です。

プロテスタント教会内の大きな信仰の差異は、どんなに努力しても一
致を図ることはできないということの決定的証拠であると考える人が多
い。しかし、ここ数年にわたって、プロテスタントの諸教会内において
共通の教義を土台として合同しようとする気運が強く動き出している。
このような合同を達成するためには、たとい聖書的見地からどんなに重
要なものであっても、すべての者が一致しない問題点は、必然的に放棄
されねばならなくなる。

米国の主要な教会が、その共通の教理において合同し、国家を動かし
て教会の法令を施行させ、教会の制度を支持させるようになるその時に、
プロテスタント・アメリカは、ローマ法王制の像を造り、その必然の結
果として、反対者たちに法律上の刑罰を加えることになるのである。

こんなことが起こりうるだろうか?少し前まではそう思われたが、2011年の今、はたしてどうでしょうか?

引用はエレン・G・ホワイト著「各時代の大争闘」 CD-ROM福音社版より。段落わけや背景色は投稿者による。

世界の終末の時期を予言するのは間違い。1844年に経験済みのこと

最近、世界の終末を予言したキリスト教徒がいたようです。ニュースによれば、10月21日と予言したが、なにも起こらず、沈黙しているとか。

Yahoo! ニュースより引用
[アラメダ(米カリフォルニア州) 20日 ロイター] 今月21日を「世界の終末の日」と予言してメディアの注目を集めた米国のキリスト教徒ハロルド・キャンピング氏(90)が、「審判の日」を前に沈黙を守っている。

ラジオ局「ファミリー・ステーション」を主宰するキャンピング氏は今年、5月21日を「最後の審判の日」と予言して一躍話題の人となった。その後、当日に何も起こらなかったのは計算ミスだと釈明し、新たに10月21日を世界の終末の日と予言し直した。

5月21日の前には、支持者らが全米約2200カ所に最後の審判の日に関する屋外広告を掲示するなど、米国で大きな騒動となっていた。しかし、今回はそうした動きもほとんど見られない。

世界の終末の予言は、1844年にアメリカでおこなわれましたが、 終末の日時を定めるのは不可!との結論が出ています。なぜなら、聖書は終末の日時を定めていないからです。
しかし、終末は近いとも結論がでています。

1844年はキリストが天の至聖所に入り、調査審判が始まったからです。調査審判が終わると、キリストは地上に再臨されると、聖書は告げています。

2011年10月20日木曜日

再臨運動の歴史(24)政治権力と教会権力の提携

獣の像とは何か?この像は2本の角を持った獣によって造られる。
獣の像を造るきっかけを作ったのは、教会内の背教でした。初代教会は異教を受けいれ、世俗の権力と結びついた。その結果、法王権という権力が人々を支配しました。

しかし、この「獣の像」とは何であろうか。そして、それは、どのよ
うにして造られるものなのであろうか。この像は、2本の角をもった獣
によって造られるものであり、先の獣に模した像である。それは、また、
獣の像とも呼ばれている。したがって、像が何であり、どのようにして
造られるかを知るためには、獣そのもの、すなわち法王権の特徴を研究
しなければならない。

初代教会は、福音の単純さを離れて堕落し、異教の儀式と習慣を受け
入れた時に、聖霊と神の力を失った。そして、人々の良心を支配するた
めに、世俗の権力の援助を求めた。

その結果が、法王権であって、それは、国家の権力を支配し、それを
教会自身の目的、特に「異端」の処罰のために用いた教会であった。米
国が獣の像を造るためには、宗教的権力が政府を支配し、教会が、教会
自身の目的を遂行するために、国家の権力を用いるようにならなければ
ならない。

教会が世俗の権力を握った場合は常に、教会はそれを自分の教義に反
対する者を罰するために用いてきた。世俗の権力と提携することによっ
てローマの範に従ったプロテスタント諸教会も、良心の自由を束縛しよ
うとする同様の欲望を表した。英国の国教会が、長年にわたって反対者
を迫害したことは、そのよい例である。16世紀と17世紀にわたって、
幾千という非国教徒の牧師たちが、教会を去らなければならなかった。
そして、牧師も信徒も、多くの者が罰金、投獄、拷問、殉教の憂き目に
あったのである。

初代教会が政府の支持を求めるようになったのは、背教のためであっ
た。そして、これが、法王権―獣―の発展する道を開いた。「まず背
教のことが起り、不法の者・・・・が現れる」とパウロは言った(Ⅱテサロ
ニケ 2:3 )。そのように、教会内の背教が、獣の像を造る道を開くの
である。

引用はエレン・G・ホワイト著「各時代の大争闘」 CD-ROM福音社版より。段落わけや背景色は投稿者による。

再臨運動の歴史(23)アメリカの変貌

アメリカ合衆国の誕生と、最終時代におけるアメリカの変貌が預言されています。子羊のような角を持つ獣は、龍のようにものを言う。獣を拝ませる。獣の像を造らせる。という行為を行なうと預言されています。

「それには小羊のような角が2つあっ」た。小羊のような角は、若々し
さと無垢(むく)と温順さとを示すもので、1798年に「上って来る」
のを預言者が見た時の米国の性格をよく表わしている。最初、米国に逃
れ、王の圧迫と司祭たちの迫害からの避難所を求めた亡命キリスト者た
ちの中には、政治的自由と宗教的自由の広い基盤の上に政府を樹立しよ
うと決意したものが多くあった。彼らの意見は、独立宣言の中に織り込
まれ、「すべての人は平等に造られ、」「生命、自由、および幸福の追
求」という奪うことのできない権利を与えられている、という偉大な真
理の表明となっている。

宗教の自由も保証され、すべての人は良心の命じるところに従って神を
礼拝することが許されている。共和主義とプロテスタント主義が、国家
の根本原則となった。これらの原則が、その権力と繁栄の秘けつである。
全キリスト教国の、圧迫され踏みにじられた人々が、関心と希望を抱い
てこの国に目を向けた。幾百万という人々がその岸辺にやって来て、米
国は、世界で最も強い国の1つに数えられるまでになった。

しかし、小羊のような角をもった獣は、「龍のように物を言った。そ
して、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に
住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。・・・・地に住む
人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像
を造ることを、地に住む人々に命じた」(黙示録 13:11―14)。

この象徴の持つ、小羊のような角と龍のような声は、ここで表されて
いる国家の宣言と実行との著しい矛盾を示すものである。国家が「物を
言う」とは、その立法および司法権の活動のことである。米国は、その
ような行為によって、国家の方針の基礎として宣言した自由と平和の原
則を裏切るのである。それが「龍のように」語り、「先の獣の持つすべ
ての権力」を働かせるという預言は、明らかに、それが、龍やひょうに
似た獣によって象徴される国々が表した狭量と迫害の精神を持つように
なるということを予告している。

そして、2つの角を持った獣が「地と地に住む人々に、・・・・先の獣を
拝ませ」るという言葉は、この国が権力を行使して、法王権に対する礼
拝行為となるような何かの遵守を強要することを示している。

このような行動は、この政府の原則、自由制度の精神、独立宣言の率
直厳粛な言明、そして憲法に、全く相反するものである。米国の建国に
当たった人々は、世俗の権力が教会のことに用いられて、その当然の結
果として狭量と迫害が起こることを避けようと、賢明にも努めた。憲法
には、「国会は、宗教の設立に関する、もしくはその自由な活動を禁ずる
法律を制定してはならない」、また、「合衆国のいかなる公職につくに当
たっても、その資格として、宗教的条件を課してはならない」とある。

国民の自由を擁護するこれらの条項にはなはだしく違反することなしに
は、国権は、どんな宗教的法令も施行することはできない。しかし、そ
のような矛盾した行動をとることは、象徴に示されているとおりである。
小羊のような角を持った獣は、純潔柔和で悪意のないことを公言しなが
ら、龍のように物を言うのである。

「地に住む人々を惑わし・・・・(彼らに)獣の像を造ることを・・・・命じ
た。」ここに、立法権が国民にある政体が明示されている。これは、合衆
国が預言に示された国であるというきわめて顕著な証拠である。

引用はエレン・G・ホワイト著「各時代の大争闘」 CD-ROM福音社版より。段落わけや背景色は投稿者による。

再臨運動の歴史(22)アメリカ合衆国の出現

旧約聖書のダニエル書には、アメリカ合衆国の出現が預言されています。その特徴は、地から上ってくる。子羊のような角がある。

ここで、もう1つの象徴が紹介される。預言者は、次のように言って
いる。「わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それに
は小羊のような角が2つあっ」た(ダニエル 7:11)。

この獣の外見と出現の模様はともに、それが表している国家が、それに
先だってさまざまの象徴のもとに表された国々とは異なっているという
ことを示している。世界を支配してきた強国は、「天の四方からの風が
大海をかきたて」た時に現れた猛獣として、ダニエルに示された
(ダニエル 7:3)。

黙示録 17:では、天使が、水は「あらゆる民族、群衆、国民、国語」
を表わしていると説明した(黙示録 17:15)。風は、争闘を象徴し
ている。天の四方からの風が大海をかきたてるとは、諸国が権力を握る
ために起こした征服と革命の恐るべき光景を表している。


しかし、小羊のような角をもった獣は、「地から上って来る」のが見え
たのであった。このように表される国は、自国を確立するために他の諸
国を覆すのではなくて、まだだれにも占有されていない領土に起こり、
徐々にまた平和のうちに成長する国でなければならない。したがって、
旧世界の込み合った争い合う国々の中、すなわち、あの「民族、群衆、
国民、国語」の荒海の中からは起こり得ないのである。それは、西半球
の大陸に求められねばならない。

1798年に、新世界のどんな国が、勢力を伸ばし、将来強大な国家に
なる可能性を示して、世界の注目を集めていたであろうか。この象徴
が、どの国に適用されるかは、実に明白である。この預言の指示すると
ころに合致する国は、ただ1つしかない。それは、疑いもなく、アメリ
カ合衆国を指している。

獣は、「地から上って来る」のが見えた。そして、翻訳者たちによれば、
ここで「上って来る」と訳されている言葉は、字義どおりには、「植物
のように成長する、または、生える」という意味である。そして、すで
に見たように、その国は、どの国にも占有されていない領土に起こらな
ければならない。

引用はエレン・G・ホワイト著「各時代の大争闘」 CD-ROM福音社版より。段落わけや背景色は投稿者による。

再臨運動の歴史(21)獣とはなにか

第三天使とは、第一、第二の天使に続いて来る天使で、大声でメッセージを宣言します。

第三天使は、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ち続ける者と
は対照的に、別の一団を指摘している。そして彼らの誤りに対して、厳
粛で恐ろしい警告が発せられている。「おおよそ、獣とその像とを拝み、
額や手に刻印を受ける者は、・・・・神の激しい怒りのぶどう酒を飲」む
(黙示録 14:9、10)。

このメッセージを理解するには、ここに用いられている象徴を正しく解
釈することが必要である。獣、像、刻印とは、いったい何を表わしてい
るのであろうか。

これらの象徴が用いられている一連の預言は、黙示録 12 : から、
キリストを誕生の時に滅ぼそうとした龍から、始まっている。龍は、サ
タンであると言われている(同 12:9)。救い主を殺すためにヘロデ
を動かしたのは、サタンであった。しかし、キリスト教時代の初期にお
いて、キリストと彼の民に戦いをいどんだサタンの主力は、ローマ帝国
であり、そこにおいて最も有力な宗教は、異教であった。こうして、龍
は、第一義的にはサタンを表わすが、第二義的には異教ローマの象徴で
ある。

第13章(1―10)にはもう1つの獣が描かれていて、それは「ひ
ょうに似ており、」龍は、「自分の力と位と大いなる権威とを、この獣
に与えた。」この象徴は、たいていのプロテスタントが信じてきたよう
に、かつて古代ローマ帝国が握っていた力と位と権威とを継承した法王
権を表わしている。ひょうに似た獣について、次のように言われている。

「この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、・・・・そ
こで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天
に住む者たちとを汚した。そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝
つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する
権威を与えられた。」ダニエル 7:の小さい角の描写とほとんど同じで
あるこの預言は、疑いもなく法王権を指している。

「4 2か月のあいだ活動する権威が与えられた。」 そして、「その頭
の1つが、死ぬほどの傷を受けた」と預言者は言っている。また、「と
りこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らも
つるぎで殺されねばならない」とある。42か月は、ダニエル 7:の
「ひと時と、ふた時と、半時の間」、つまり3年半、すなわち1260日
と同じで、その期間のあいだ、法王権は神の民を圧迫するのであった。

この期間は、すでに述べたように、法王権が至上権を握った紀元538年
に始まり、1798年に終わった。この時、法王はフランス軍の捕虜に
なり、法王権は致命的な傷を受けた。「とりこになるべき者は、とりこ
になっていく。」

法王権の歴史上の事実が預言されています。法王はフランス軍の捕虜になり、そのことが「死ぬほどの傷を受けた」と預言されています。


引用はエレン・G・ホワイト著「各時代の大争闘」 CD-ROM福音社版より。段落わけや背景色は投稿者による。

2011年10月17日月曜日

再臨運動の歴史(20)安息日の意味

安息日は神が創造主であることを示しています。神が創造主であることが、神を礼拝する根拠です。神が創造主であり、我々人間は神に造られたものだからです。

第一天使とは、ヨハネの黙示録14:6に登場します。「わたしは、もうひとりの御使(みつかい)が中空を飛ぶのを見た。」この御使=天使のこと。この天使に続いて第2、第3の天使が登場し、それぞれがメッセージを宣言します。

神が創造主であるという聖書のメッセージは、進化論に慣れ親しんだ人には受け入れがたいものです。しかし、聖書は初めから、神が創造主であると宣言しています。


第一天使は、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ」、神を天地の創造主と
して礼拝せよと、人々に呼びかけている。そうするためには、神の律法
に従わなければならない。

賢者は、「神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である」
と言っている(伝道の書 12:13)。
神の戒めに対する服従がないならば、どんな礼拝も神に喜ばれることは
できない。
「神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。」「耳を
そむけて律法を聞かない者は、その祈でさえも憎まれる」(Ⅰヨハネ 5:
3、箴言 28:9 )。

神を礼拝する義務は、神が創造主であり、他のすべてのものはその存
在を神に依存している、という事実に基づいている。そして、聖書の中
で、異教の神々にまさって神が崇敬と礼拝を受けるべきであると示され
ている時は、常に、神の創造の力がその実証としてあげられている。

「もろもろの民のすべての神はむなしい。しかし主はもろもろの天を造
られた」(詩篇 96:5)。「聖者は言われる、『それで、あなたがた
は、わたしをだれにくらべ、わたしは、だれにひとしいというのか。』
目を高くあげて、だれが、これらのものを創造したかを見よ。」
「天を創造された主、すなわち神であって、・・・・地を・・・・造られた主は
こう言われる、『わたしは主である、わたしのほかに神はない。』」
(イザヤ 40:25、26、45:18)。


詩篇記者も言っている。「主こそ神であることを知れ、われらを造られた
ものは主であって、われらは主のものである。」「さあ、われらは拝み、
ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう」( 詩篇 100:
3、95:6)。

また、天において神を礼拝する聖者たちは、神をあがめるべきその理由と
して、「あなたこそは、栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。
あなたは万物を造られました」と述べている(黙示録4:11)。

黙示録 1 4: には、創造主を礼拝するようにという呼びかけが人々
に対してなされている。そして、三重の使命の結果として、神の戒めを
守る一団の人々が起こることを、預言は示している。

神の戒めを守る「聖徒」は、英文ではsaintsと複数になっています。ゆえに、神の戒めを守る「一団の人々」といわれているのです。

これらの戒めの1つは、神が創造主であることを直接指示している。第
4条は、次のように宣言している。「7日目はあなたの神、主の安息で
ある。・・・・主は6日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを
造って、7日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖
とされた」(出エジプト20:10、11)。

安息日について、主は、さらに、それが「しるしとなって、主なるわた
しがあなたがたの神であることを、あなたがたに知らせるためである」
と言われる(エゼキエル 20:20)。
そしてその理由は、「それは主が6日のあいだに天地を造り、7日目に
休み、かつ、いこわれたからである」と言われているのである
(出エジプト 3 1:17)。

「創造の記念としての安息日の重要さは、われわれがなぜ神を礼拝す
べきであるかという真の理由を常に考えさせるところにある。」すなわち、
神は創造主であって、われわれは神に造られたものだからである。「それ
ゆえに、安息日は、礼拝の根底そのものである。というのは、安息日が、
他のどんな制度よりも、最も感銘深い方法で、この大真理を教えている
からである。7日目における礼拝だけでなく、すべての礼拝の真の根拠
は、創造主と造られたものとの区別にある。この大事実は、決して廃す
ることのできるものではなく、また決して忘れてはならないものであ
る。」

神がエデンで安息日を制定されたのは、この真理を常に人々の心
に留めておくためであった。
 そして神がわれわれの創造主であるという事実が、神を礼拝する理由と
して存続するかぎり、安息日は、そのしるし、また記念として、存続す
るのである。安息日がすべての人に守られ、人間の思いと愛情が、崇敬
と礼拝の対象としての創造主に向けられていたならば、偶像礼拝者や無
神論者や不信心者は決してでてこなかったことであろう。安息日を守る
ことは、「天と地と海と水の源とを造られた」真の神に対する忠誠のしる
しである。それゆえに、神を礼拝し神の戒めを守ることを命じるメッセ
ージは、特に第4条の戒めを守るよう人々に呼びかけるのである。

創造主に心を向け、神を崇めることは、安息日を守る ことにつながります。1844年以降、第7日安息日を守る人々が現れました。現在もいくつかの教会として存続しています。

引用はエレン・G・ホワイト著「各時代の大争闘」 CD-ROM福音社版より。段落わけや背景色は投稿者による。

再臨運動の歴史(19)神の律法と第4条。安息日を覚えて聖とせよ。

神の律法を認めそれに従うことは、第4条の戒めにも、それを認め従うことになります。
再臨待望者たちは、安息日が第7日目であることを認め、従うことを決心しました。
律法の第4条は安息日を守ることを命じています。

最初に布告された時と同様に、第4条は、十戒の中心の位置を占めて
いる。

「安息日を覚えて、これを聖とせよ。6日のあいだ働いてあなたの
すべてのわざをせよ。7日目はあなたの神、主の安息であるから、なん
のわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、は
しため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。主
は6日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、7日
目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた」
(出エジプト 20:8―11)。

神の霊が、これらみ言葉の研究者たちの心に感動を与えた。彼らは、
自分たちが創造主の休みの日を無視して、知らずにこの戒めを犯してい
たことを悟らせられた。彼らは、神が清められた日の代わりに週の第1日
を守るその理由を調べ始めた。彼らは、第4条が廃されたとか、安息日
が変更されたとかいう証拠を、聖書の中に見つけることができなかった。

最初に7日目を聖別した祝福は、取り除かれてはいなかった。彼らは真
心から、神のみこころを知り実行しようとしていた。そして今、彼らは、
自分たちが神の律法の違反者であることを知って、深く悲しんだ。そし
て、神の安息日を清く守ることによって、神への忠誠を表わした。



キリストの仲保と神の律法の永遠性に関する光を受け入れた人々は、
これらが黙示録 14:に示された真理であることを見いだした。この章
のメッセージは、主の再臨のために地上の住民に準備をさせる三重の警
告から成っている。

「神のさばきの時がきた」という告知は、人類の救いのためのキリスト
の務めの最後の働きを指している。それは、救い主のとりなしが終わり、
彼がご自分の民を迎えるために地上に帰られるまで宣布しなければなら
ない真理を伝えるものである。

1844年に始まった審判の働きは、生きている者も死んだ者も、すべ
ての者の運命が決定されるまで継続しなければならない。したがって、
これは、人類の恩恵期間の終わりまで続くのである。人々に審判に立つ
準備をさせるために、メッセージは、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。」
「天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め」と彼らに命じてい
る。

これらのメッセージを受け入れる結果は、「ここに、神の戒めを守り、
イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」という言葉で表わ
されている。審判に対する備えをするためには、人は神の律法を守らなけ
ればならない。その律法が、審判の時の品性の規準となるのである。

引用はエレン・G・ホワイト著「各時代の大争闘」 CD-ROM福音社版より。段落わけや背景色は投稿者による。

再臨運動の歴史(18)聖所と神の律法

地上における聖所の中の至聖所には、神の契約の箱がありました。同様に天における至聖所にも、神の契約の箱があることが、黙示録11:9に書かれています。

ということは、神の律法が不変であることの動かぬ証拠です。契約の箱の中には、律法=十戒の書かれた板が入っています。現代に至るまで、神の律法は変わらないということになります。「天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである」(マタイ5:18)と救い主は言っています。


「そして、天にある神の聖所が開けて、聖所の中に契約の箱が見えた」
(黙示録 11:19)。神の契約の箱は、聖所の第2の部屋、至聖所に
ある。「天にある聖所のひな型と影」であった地上の幕屋の奉仕において
は、この部屋は、大いなる贖罪の日に聖所の清めのために開かれるだけ
であった。

したがって、天にある聖所が開かれて、契約の箱が見えたという告知は、
1844年に天の至聖所が開かれて、キリストが贖罪の最後の働きをす
るためにそこに入られたことを示している。

至聖所において奉仕を始められた大祭司に、信仰によって従っていった
人々は、彼の契約の箱を見た。彼らは、聖所の問題を研究して、救い主
の奉仕が変わったことを理解するようになっていた。そして彼らは、彼
が今、神の箱の前で務めをなし、ご自分の血によって罪人のために嘆願
しておられるのを見たのであった。

地上の幕屋の箱には、神の律法が刻まれた2枚の石の板が入っていた。
箱は、ただ律法の板の容器にすぎなかったが、神の律法が入っていたた
めに、それに価値と神聖さがあったのであった。天にある神の聖所が開
かれた時、契約の箱が見えた。天の聖所の至聖所の中に、神の律法がた
いせつに安置されている。それは、神ご自身がシナイの雷鳴の中で語り、
ご自分の手で石の板に書かれた律法であった。

天の聖所にある神の律法は、大いなる実体であって、石の板に刻まれ、
モーセによって五書の中に記録された戒めは、その正確な写しである。
この重要な点を理解するに至った人々は、こうして、神の律法の神聖さ
と不変性を知るようになった。彼らは、「天地が滅び行くまでは、律法の
一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである」とい
う救い主の言葉の力を、これまでになく悟った(マタイ 5:18)。

 引用はエレン・G・ホワイト著「各時代の大争闘」 CD-ROM福音社版より。段落わけや背景色は投稿者による。

2011年10月13日木曜日

再臨運動の歴史(17)重大厳粛な真理

ノアの洪水のとき、ロトがソドムから救出されたとき、警告が与えられました。警告に従って逃れた人々は、洪水や火から救われました。これらは、現代人への教訓となっているのです。

不信のユダヤ人たちの状態は、キリスト者と称しながら恵み深い大祭司
の働きを故意に知らずにいる、軽率で不信の人々の状態を例示するもの
である。

型としての奉仕において、大祭司が至聖所に入った時、全イスラエルは
聖所のまわりに集まり、罪のゆるしを受けて、会衆の中から絶たれるこ
とがないようにと、この上なく厳粛な態度で、神の前に心を低くしなけ
ればならなかった。

贖罪の日の実体である今日、われわれが、われわれの大祭司の働きを理
解し、どのような義務がわれわれに要求されているかを知ることは、ど
んなにか重要なことであろう。
人間は、神が憐れみのうちにお与えになった警告を拒否して無事では
あり得ない。ノアの時代に天からの使命が世に送られた。そして、彼ら
の救いは、彼らがその使命をどう受けるかにかかっていた。


彼らが警告を拒否したために、神の霊は罪深い人類から退き、彼らは洪
水によって滅びた。アブラハムの時代に、恵みは、ソドムの邪悪な住民
に訴えることをやめた。そして、ロトと彼の妻と2人の娘のほかは、み
な、天から降った火で焼き尽くされた。

キリストの時代でもそうであった。神のみ子は、その時代の不信なユダ
ヤ人に、「おまえたちの家は見捨てられてしまう」と言われた
(マタイ 23:38)。

同じ無限の力のお方は、最後の時代をながめて、「自分らの救となるべ
き真理に対する愛を受けいれなかった」者について、「そこで神は、彼
らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、こうして、真理を信じない
で不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである」と宣言しておられ
る(Ⅱテサロニケ 2:10―12)。

彼らが神の言葉の教えを拒否する時に、神はみ霊を取り去って、彼らを、
彼らが好む惑わしの中に捨てておかれる。しかし、キリストは、なおも、
人類のためにとりなしておられ、求める者には光が与えられる。

引用はエレン・G・ホワイト著「各時代の大争闘」 CD-ROM福音社版より。段落わけや背景色は投稿者による。

再臨運動の歴史(36)真理は反対を引き起こす

なぜ、真理は反対を引き起こすのでしょうか? 真理に従うことは、犠牲を要求されるからです。 耳ざわりのよい言葉のみを聴いているなら、反対は起こらないわけです。 聖書の預言を信じる人はほんのわずか。しかも、神の戒めに従おうとする者は非難される。 だから、「ここに...